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明治時代から続く湯治の湯。

1世紀以上の歴史をもつ、身近な湯治場。

古くから、風光明媚な湯治場として有名な小金湯温泉。その歴史は明治16年頃、熊本からの入植者により、桂の木の下から湧出している温泉が発見されたことに始まります。明治20年には、すでに開湯されていたという記録があります。
硫黄の香りにつつまれた無色透明のお湯は、さまざまな病に良い働きかけをするーそのような話を聞きつけ、効き目に期待する人々が押し寄せた小金湯温泉郷に、昭和7年、定山渓鉄道が停留所を設置したことから、一帯は急速に発展。
夏の土用の丑の日には、停留所にあふれた湯治客をさばくために、駅員が臨時で駆り出されたというエピソードも残っています。

「小金湯」のルーツは、「黄金湯」。

その後、明治26年に中谷彌三右衛門が湯泉の一角の払下げを受け、昭和11年に中谷家により更生園が開業、湯元小金湯の前身となる湯元なかや温泉旅館となりました。
現在の館内には「湯元なかや」時代に使用していた看板が展示されており、当時を偲ぶことができます。
またこの「小金湯」という地名については、大正4年の札幌市庁管内案内図によると、この界隈は「黄金湯」と記されています。
その由来は諸説ありますが、湯元の硫黄がきらきらと黄金色に光っていたからという説が有力です。
「小金湯」と表記されるようになったのは、昭和37年。それまでは豊平町に属していたこの地域は、札幌市との合併に伴って、表記が改正されました。

風光明媚な湯治場を見守る、桂の大木。

「湯元 小金湯」のシンボル・桂の木は、推定樹齢700年。
樹高約23m、幹周りは10m以上の大木で、小金湯温泉郷を訪れる人々を見守り続けてきた、守り神のような存在でもあります。
その昔、定山渓を開いた美泉定山(みいずみ・じょうざん)が根元で仮眠した際、樹霊が夢枕に現れ、霊泉が湧くことを告げたという言い伝えも残る、この大木。根元のウロ(空洞)に不動尊がまつられていたことから、「桂不動」と呼ばれるようになりました。
なお、この桂の大木は、昭和47年、北海道の「記念保護樹林」に指定されています。

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